兵庫県神河町にある銀の馬車道(生野鉱山寮馬車道跡)に訪れた感想と現地レポート

スポンサーリンク

兵庫県神崎郡神河町にある銀の馬車道跡に行ってきました。

「銀の馬車道跡」は、2017年に文化庁により日本遺産として認定された『播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~』の構成要素です。

実際に訪れた感想を交えて、「銀の馬車道跡」の見所やアクセス・駐車場の状況などレビューします。

銀の馬車道跡 アクセス

スポンサーリンク

「銀の馬車道跡」には、道の駅「銀の馬車道・神河」から徒歩で向かいました。

[福崎町]方面から国道312号を北上し、道の駅 「銀の馬車道・神河」に到着。

道の駅 「銀の馬車道・神河」に車を停めて「銀の馬車道跡」まで徒歩で行きました。

駐車場

専用の駐車場はありませんでした。

自分は、道の駅 「銀の馬車道・神河」に車を停めて訪れました。

最寄り駅・近隣交通機関から

JR「新野駅」から国道312号を経由して約7.0 km

地図

銀の馬車道 (生野鉱山寮馬車道)

「銀の馬車道”(正式名称:生野鉱山寮馬車道)」は、播磨の飾磨港(現姫路港)と生野鉱山を結ぶ約49kmの馬車専用道路として造られました。

日本初の高速産業道路といわれ、明治政府の官営事業として、フランスより招聘された[ジャン=フランソワ・コワニェ]の指導のもと、その義弟[レオン・シスレー]を技師長に迎え、初代[生野鉱山]局長である[朝倉盛明]の指揮により建設されました。

マカダム式舗装を始めとするヨーロッパの最新技術を導入し、3年の工事期間を経て、明治9年(1876年)に完成しました。

「銀の馬車道」は、2017年(平成29年)4月28日、文化庁により日本遺産として認定された『播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍~』の構成要素となっています。

兵庫県神河町吉冨には現在、唯一、「銀の馬車道」が当時の面影をとどめている「馬車道跡」があります。

基本情報

名称 銀の馬車道跡
所在地 〒679-2434 兵庫県神崎郡神河町吉冨
営業時間
休業日
料金 無料
問合せ先 神河町役場ひと・まち・みらい課 電話番号 0790-34-0002
公式サイト 日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」

 レポート・レビュー

道の駅 「銀の馬車道・神河」の前に延びる国道312号をわたって市道に入ります。

道沿いにある案内板にしたがって、田園脇の市道を南に歩くと、馬車のモニュメントが見えて来ます。

馬車のモニュメントがあるあたりが「馬車道跡」です。

道の駅 「銀の馬車道・神河」から徒歩で5分ほどです。

「馬車道跡」周辺には、池があり、整備された土道が延びています。

訪れた日は、曇り時々晴れ。

時折 雨が降っていました。

そして、馬車道の跡に沿ってに、桜が咲き誇っているのが見えました。

この時期に、来たのはこの桜を見るためでもあります。

桜の花は、散り始め。

見頃の花を残しつつ、花弁がヒラヒラと舞っていました。

池には、花筏が浮かんでいました。

池の水は思いのほか綺麗で、桜とのコントラストが絵になります。

池は農業用水でしょうか。

結構、昔からあるような雰囲気があります。

馬車のモニュメントの御者台には上がれるようになっています。

御者台は少し傷んでいる箇所があったので気をつけて下さい。

神河町吉冨地区には、マカダム式舗装の馬車道跡が現存しています。

マカダム式舗装とは、馬車を走らせるため石や土を固めて基礎をつくり、高速が出せるよう高低差をなくして直線に近づけています。

当時の最先端の工夫が盛り込まれた、土木技術です。

この、土道の下にもマカダム式舗装の名残があるのでしょう。

近代土木技術導入の先鞭となった施設に直接触れていると思うと、なんだか感慨深いものを感じますね。

関連情報

写真撮影日

2025年4月

これまで訪れた兵庫県の散策地

神河 飯森の水 JULIN(兵庫県神河町) ~年中給水できる名水の自動販売機~

岩部天然名水(兵庫県姫路市香寺町)に訪れた感想と現地レポート

銀の馬車道 まとめ

神河町吉冨には、日本遺産として認定された「銀の馬車道」がかつての面影をとどめている「馬車道跡」があります。

「馬車道跡」周辺は、綺麗に整備され馬車のモニュメントが設置されています。

春には、馬車道のわきに植えられた桜が花を咲かせ大変綺麗な景観が見られます。

自分が訪れた時には、馬車道に花弁が舞い、隣のため池には花筏が浮かんでいました。

専用駐車場はありませんが、すぐ近くに道の駅があるので道の駅に車を停めて見学することが出来ます。

スポンサーリンク