島根県奥出雲町でト蔵庭園を見てきました。
「ト蔵庭園」がある追谷集落を訪れるのは、今月二度目。
最初は「たたらの灯」で行われるライトアップを見に訪れました。
その時は夕方になって集落に到着したので、庭園を見学することはできませんでした。
今回の訪問は、棚田のライトアップから数日後。
思いのほか早くに訪れることが出来ました。
アクセス
県道108号から追谷(おいだに)地区に入り「ト蔵庭園」に向かいました。
最寄駅・近隣交通機関から
「出雲横田駅」から県道107号 、 県道108号を経由して約6.8 km
「亀嵩駅」から県道156号 と 県道258号 、県道108号を経由して約12 km
地図
ト蔵庭園
「ト蔵庭園」は、中世以来の豪族であったト蔵家旧宅跡にあります。
庭園がある南部斐伊川の上流の奥出雲町横田では、かつて砂鉄がよく採れ、製鉄が盛んでした。
この地方でも有数の鈩製鉄業者であったト蔵家は、郡役人も勤めたといいます。
庭園が造られたのは、今から約300年前の元禄四年(1691年)五代将軍綱吉の頃。
松江藩との繋がりにより、ト蔵家が関西から小堀遠州の弟子の庭師を招き、作庭したと伝えられています。
「ト蔵庭園」の景観
庭園は池泉鑑賞式庭園。
広さは約260坪。
庭園南部の船通山と、その左の家内住山。
そしてその二つの山の中にある鳥上滝。
それらを庭園の借景として、意匠されたと考えられています。
池泉及び滝石組みの滝は3段落ちです。
さらにその上部には一群の立石があります。
池泉中央部には亀島兼用の出島が意匠され、さらに南西部にも南部に向かって出島が意匠されています。
出島には石灯篭がたっていました。
「ト蔵庭園」は尚武の気風が色濃く残る江戸時代初期に作庭された庭園らしく、武家書院風の力強い作風を特徴としているといわれています。
樹齢300年の高野槇
庭園の植栽には樹齢300年の高野槇もあります。
高野槇について
高野槇は、常緑針葉樹の高木で高野山に多く生えていることからその和名が付けられました。
別名はホンマキ。
高野山では霊木とされ、 仏に供える花の代用として用いられています。特に手入れをしなくても狭円錐形の整った樹冠を形成するため、造園木として重宝されています。
椿庵
庭園の横には、名物の出雲蕎麦と地元「奥出雲町」で採れた山野菜を使用した山菜料理が食べられる「椿庵」があります。
訪問日は正午過ぎに訪れ、ここで昼食を食べました。
自分が食べたのは、出雲名物である「割り子そば」(800円)
江戸時代に築かれた名園を眺めながら食べる、香り高い蕎麦は格別の味でした。
店の暖簾には菊水が印されていました。
菊水で思い浮かぶのは南北朝時代の英雄である楠木正成公の家紋。
これは偶然ではなく、庭園を造ったト蔵家は正成公ゆかりの一族だそうです。
ト蔵庭園縁起
観光パンフレットから引用
ト蔵家は河内国の武将楠正成の弟正氏と、伯耆国の武将名和長年の弟太郎左衛門の娘との間に生まれた勝太郎を祖として、伯耆・出雲の守護山名氏に仕えた武将で、4代(1495年)の頃より当地に屋敷を構え、姓をト蔵(ぼくら)と名乗るようになったと記されています。
その後、鈩経営の記録が確かな明和5年1768年からト蔵家原炉跡にて製鉄業の操業を開始し、松江藩5鉄師(絲原家・桜井家・卜藏家・田部家・桜井家)として仁多郡奥出雲町竹崎村を本拠地に鈩作業を行いました。
それから、奥出雲の鉄師が一斉に廃業する大正14年(1925年)までの長きにわたり、製鉄の操業が行われ続けました。
まとめ
ト蔵庭園は庭石が効果的に使われている、素朴で力強い印象の庭園です。
借景となっている背後の山々が奥行きを感じさせ、視覚的な広大さを演出している巧みな構成の名園だと思います。
「椿庵」ではおいしい料理が食べられますが、定休日が多いのでよく確認して訪れてください。
基本情報
所在地
〒699-1801 島根県仁多郡奥出雲町竹崎800
料金
入園無料
関連サイト
写真撮影日
2018年5月
これまでに訪れた庭園・公園
櫻井家住宅(島根県奥出雲町)で紅葉と庭園を観賞して来ました。
旧堀氏庭園(島根県津和野町)~明治時代の豪邸で見られる3つの庭園~
「椿庵」利用案内
営業時間
- 11:00~15:00
休業日
- 火・水・木曜日 12月中旬~3月下旬冬季休業
おしながき
- 卜蔵御膳 1,700円より(要予約)
- 椿御膳 1,200円
- 割子そば 800円
お飲物
- 珈琲 300円(食後200円)
- 抹茶 300円(食後200円)
- ジャスミンティー 300円(食後200円)